命を繋ぐ重要性

命を繋ぐ、というのは何も子孫繁栄だとか、

世界平和だとか、後世へ残す偉大な事業だとか、

そんな、人間を駆り立てるためのくだらなくてご立派な話ではない。

命を繋ぐというのは、今日を、明日を、自分自身が生きる事だ。

命ある者はいつか死ぬ。

そのいつかはある日突然訪れるかもしれない。

明日かもしれない。

今日かもしれない。

1時間後なのかもしれない。

そのいつかに、自分自身は納得出来るだろうか?

例えば今がどうにもならなくて、追い詰められていて、

逃げ場が無くて、選択肢が無い時、

人は死を選ぶ事もあるかもしれない。

それも一つの納得だろう。

しかしもし、突然に奪われた命だったら、納得出来るだろうか?

俺は納得出来ない。

今日を生きるから明日も生きられる。

明日も生きるからやりたい事が出来る。

明日出来なくても明後日はやりたい事が出来る。

全ての土台が今だから、命を繋がなくてはやりたい事も出来ない。

やりたい事が出来なければ納得も出来ない。

人生の結論は納得だ。

自分が自分の死に納得出来た時、その時だけが死に際だ。

納得出来ないなら死ぬべきではない。

命を繋ぐ事は、死の納得を追求する上で、

当然行われなければならない行為なのだ。
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紙切れの虚像


僕らは皆、汗水垂らして紙切れを集める。

死ぬ気で、必死こいて、紙切れを集める。

たまに本当に死んでしまう人もいる。

やり方は様々だけど、集める物は皆同じ。

紙切れ自体に価値があるのではない。

紙切れに定められた価値を誰もが疑わないから、

紙切れに人生をかけ、紙切れを奪い合い、紙切れのために泣く。

それでも僕らは紙切れのおかげで生きている。

先進国の世の中は紙切れに支配されている。

あいつも、こいつも、自分自身も、

いつの間にか紙切れの奴隷に成り果てたのだ。

あの頃の、超自然的な純粋さで

生き方を探していた少年は、

成長過程における時代の狭間で、

物の見事に殺されたのだった。

限界の島へ


ちょうど先月ぐらいに、八丈島へ行った。

珍しく会社から連休を貰ったのに予定してたイベントが無くなり、

何をするか迷っていた時に、

いつか行くかと思ってた八丈島に、

突然思いつきで行く事にした。

その思いつきと言ったら、現地で宿を決めるぐらい急な予定だった。

おかげでレンタカーは3日中2日しか借りれなかった。

正直平日だしそんな混んでると思わなかったから予約しなかったが、

最終日が土曜で月曜が祝日だったせいだろう。

兎にも角にも光るきのこを見たい以外、

特にやりたい事も無く行ったので何もする事が無い。

滝を見て風呂に入って、自然観察をして、

夜中は光るきのこを探して歩き回って、

それなりに楽しんでもう次の日だ。

ちなみに光るきのこは、稀に見る良天候続きで生えてなかった。

何をしに行ったのか自分でも分からなくなった。

2日目はもう思いつきで朝から山に登り絶景を眺めたと思えば、

午後は海水浴で魚と戯れた。

島を堪能した1日となった。




しかし正直な所、この旅はそんなに特別面白くはなかった。

一人旅だったという事もあるが、何というか、

普段から割と自然を探索してる自分にとっては、

山を登るのも、森を歩き回るのも、たいして非日常ではなかった。

海水浴だけは条件が整わないと出来ないので、

実に10年振りぐらいに泳いで気持ちよかった。

だが、よく考えれば山を登るのも、森を歩くのも、海を泳ぐのも、

それはここでしか出来ないものではない。

光るきのこが見れなかった以上、この島には俺にとって価値がなかった。

何より残念なのが、食事が普通だ。

特産物が雑草だったり、特別すごい海産物が食べれるわけじゃない。

普通だ。

これは島民に聞いた話だが、昔はもっと資源が色々あったそうだが、

観光客が増えてそれなりの対応をするうちに資源が無くなった、

つまり獲り尽くしてしまったそうだ。

これには何というか、流石に島の闇を聞いた気持ちになった。

正直な感想は、この島は観光地としては限界だ。

特段美味い食べ物も無く、産業で誇れるものも無く、

ここでしか出来ない事は、1日のうちに山と海を堪能できる事ぐらいか。

もちろん自然観察は楽しかったし、金と暇が許せばいくらでもいられる場所だ。

だがしかし、忙しい人生で、あえてこの島を選んで、好んで、

休暇を使うような、そんな気にはならなさそうだと思った。

次の長期休暇は(今後あるのか分からないが)沖縄だなと思った。

旅の途中、限界の島で1人、俺は、何故か島の本質について悟っていた。

命の評価

命に価値を与えるのも、

命に価値を求めるのも、

命の価値を考えるのも、

命の価値を決めるのは、いつも人間だ。

人間の為に死んだ命には弔いの碑を建てて手を合わせ、

人間に害を及ぼしたことで殺した命は罪悪感も無く忘れ去る。

関わり合った人間には情が移り、

無関係の人間には無関心。

友と酒を呑んで昔話をしている時、

世界のどこかで過去も持てずに消える命がある。

命はいつも平等ではない。

命の評価は、人間によって作られて、

その個人の感情で左右されて、価値のある命と、

価値の無い命とに分別される。

他者の命に価値は無くて、自分に関わる命には価値がある。

命が平等じゃないのは、命の評価が公平ではないからだ。

公平な評価など存在しない。

評価者は常に人間だからだ。

同じように、平等な命も存在しない。


素晴らしい人間で在りたければ、評価する人間にこびへつらって生きなければならない。

自分自身の評価を、他者に委ねて生きていかなければならない。

自分の存在価値とは、誰かに評価された自身の命そのものなのだ。

世界を知らないまま死んでいく


何かを知らずに死んでいく。

何も知らずに死んでいく。

世界の一端だけを知って、まるで全てを知ったかのような、

そんな錯覚に満足する。

その実は何も知らない。

誰かが熱中して楽しんでいる事も、

誰かが命をかけて取り組んでいる事も、

自分以外の誰かが体験している世界観も、

横切った猫が見ていた世界も、

地球上のどこかで芽吹いた命も、

深海に沸くマグマの熱さも、

広がり続ける宇宙の端も、

そして、自分自身の存在した意味すらも、

何も知らずに死んでいく。

世界を知らないまま死んでいく。

なんて哀しいんだろう。

時間が足りない。

生きている時間だけでは全ては分からない。

俺はただ知りたいだけなのに。

本質を見たいだけなのに。
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スカイメンソール

Author:スカイメンソール
スカイメンソールの生体

年齢:日当たりの悪いところに生息するヒト

趣味:キノコ採取、麻雀、釣り、歌う、アニメ、2ch、哲学、妄想、ゲーム、ギター、ダーツ、実況、アクアリウム

特技:鬱

好きな食べ物:キノコ、のど飴、御クスリ

キノコのようにじめじめしたところに生えているスカイメンソールです。

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