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限界の島へ


ちょうど先月ぐらいに、八丈島へ行った。

珍しく会社から連休を貰ったのに予定してたイベントが無くなり、

何をするか迷っていた時に、

いつか行くかと思ってた八丈島に、

突然思いつきで行く事にした。

その思いつきと言ったら、現地で宿を決めるぐらい急な予定だった。

おかげでレンタカーは3日中2日しか借りれなかった。

正直平日だしそんな混んでると思わなかったから予約しなかったが、

最終日が土曜で月曜が祝日だったせいだろう。

兎にも角にも光るきのこを見たい以外、

特にやりたい事も無く行ったので何もする事が無い。

滝を見て風呂に入って、自然観察をして、

夜中は光るきのこを探して歩き回って、

それなりに楽しんでもう次の日だ。

ちなみに光るきのこは、稀に見る良天候続きで生えてなかった。

何をしに行ったのか自分でも分からなくなった。

2日目はもう思いつきで朝から山に登り絶景を眺めたと思えば、

午後は海水浴で魚と戯れた。

島を堪能した1日となった。




しかし正直な所、この旅はそんなに特別面白くはなかった。

一人旅だったという事もあるが、何というか、

普段から割と自然を探索してる自分にとっては、

山を登るのも、森を歩き回るのも、たいして非日常ではなかった。

海水浴だけは条件が整わないと出来ないので、

実に10年振りぐらいに泳いで気持ちよかった。

だが、よく考えれば山を登るのも、森を歩くのも、海を泳ぐのも、

それはここでしか出来ないものではない。

光るきのこが見れなかった以上、この島には俺にとって価値がなかった。

何より残念なのが、食事が普通だ。

特産物が雑草だったり、特別すごい海産物が食べれるわけじゃない。

普通だ。

これは島民に聞いた話だが、昔はもっと資源が色々あったそうだが、

観光客が増えてそれなりの対応をするうちに資源が無くなった、

つまり獲り尽くしてしまったそうだ。

これには何というか、流石に島の闇を聞いた気持ちになった。

正直な感想は、この島は観光地としては限界だ。

特段美味い食べ物も無く、産業で誇れるものも無く、

ここでしか出来ない事は、1日のうちに山と海を堪能できる事ぐらいか。

もちろん自然観察は楽しかったし、金と暇が許せばいくらでもいられる場所だ。

だがしかし、忙しい人生で、あえてこの島を選んで、好んで、

休暇を使うような、そんな気にはならなさそうだと思った。

次の長期休暇は(今後あるのか分からないが)沖縄だなと思った。

旅の途中、限界の島で1人、俺は、何故か島の本質について悟っていた。
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命の評価

命に価値を与えるのも、

命に価値を求めるのも、

命の価値を考えるのも、

命の価値を決めるのは、いつも人間だ。

人間の為に死んだ命には弔いの碑を建てて手を合わせ、

人間に害を及ぼしたことで殺した命は罪悪感も無く忘れ去る。

関わり合った人間には情が移り、

無関係の人間には無関心。

友と酒を呑んで昔話をしている時、

世界のどこかで過去も持てずに消える命がある。

命はいつも平等ではない。

命の評価は、人間によって作られて、

その個人の感情で左右されて、価値のある命と、

価値の無い命とに分別される。

他者の命に価値は無くて、自分に関わる命には価値がある。

命が平等じゃないのは、命の評価が公平ではないからだ。

公平な評価など存在しない。

評価者は常に人間だからだ。

同じように、平等な命も存在しない。


素晴らしい人間で在りたければ、評価する人間にこびへつらって生きなければならない。

自分自身の評価を、他者に委ねて生きていかなければならない。

自分の存在価値とは、誰かに評価された自身の命そのものなのだ。

世界を知らないまま死んでいく


何かを知らずに死んでいく。

何も知らずに死んでいく。

世界の一端だけを知って、まるで全てを知ったかのような、

そんな錯覚に満足する。

その実は何も知らない。

誰かが熱中して楽しんでいる事も、

誰かが命をかけて取り組んでいる事も、

自分以外の誰かが体験している世界観も、

横切った猫が見ていた世界も、

地球上のどこかで芽吹いた命も、

深海に沸くマグマの熱さも、

広がり続ける宇宙の端も、

そして、自分自身の存在した意味すらも、

何も知らずに死んでいく。

世界を知らないまま死んでいく。

なんて哀しいんだろう。

時間が足りない。

生きている時間だけでは全ては分からない。

俺はただ知りたいだけなのに。

本質を見たいだけなのに。

その心を動かすのはいつも厨二病

色々な黒歴史を排泄しながら、垂れ流して生きてきた私です。

排泄された黒歴史は未だなお人生の道端で数多に転がっており、

大人になった今でも強烈な香りを漂わせながら、

静かに主の死を待ちわびているようです。




黒歴史、とはいうけれど、それは失敗に終わったりしたからこそ

黒歴史になってしまったわけで、

仮にそれが偉大な功績を残したのであれば、

それは歴とした成功の記録であり、恥ずべきものではない。

大企業も、元を辿れば無名企業。

オリンピック選手も、元を辿れば初心者。

歴史の始まりは、いつもゼロからだ。

ゼロの人間が、自分を100だ、1000だ、1万だと

信じて疑わなかったからこそ結果がついてきたのだ。

途中で諦めてやっぱりゼロか…となった人間がゼロという黒歴史を作る。

自分を信じる心は絶対に失ってはいけない。

自分を信じる心は厨二病でなければならない。

絶対に出来る、成功する、その心を動かしているのはいつも誰でも厨二病だ。


でも悲しいかな、大人になると現実的な視点が、

思考がじゃまをして、厨二心を否定する。

だから「オトナ」に育てられた「オトナな子供」はゼロのままで死んでいく。

成功したいなら厨二心は絶対に否定してはならない。

出来る人間の第1歩を構成するのは厨二心に他ならない。

信念を貫くのも厨二心、信じて疑わないのも厨二心。

この世界の歴史は、厨二病で成り立っている。

俺には出来る。

みんなにも出来る。

誰でも出来る。

何でも出来る。

このブログを読んでくれた人は、

ぜひ、ゼロの歴史を恐れないで、

厨二病を爆発させてほしい。

俺も爆発したい。

不幸なのは


同じように仕事をしていても、

それを楽しめる人間と楽しめない人間がいる。

同じように生きていても、

楽しく生きている人とつまらない人生を生きている人がいる。

結局不幸なのは、楽しみを楽しみと感じられる心を持つ事が

出来なかったという事に他ならない。

何かの生き方を間違えてしまったために、

楽しみを楽しいと感じるための心が育たなかったのだろう。

脳科学で言えば、何かをした時に、何かを達成した瞬間に、

それに対する報酬物質が脳内に出なかったのだろう。

それが外的要因なのか、自分自身の性格の問題だったのか、

それは今となっては分からない。

そこにはただ、出来た自分も出来なかった自分も、

どちらの自分も認められる環境が無かったのだ。

自分自身が自分の中で宙ぶらり。

俺はただ、存在していただけなのかもしれない。

昔から、ただただ存在していただけなのかもしれない。

俺以外の俺でも事足りるような人生だったのかもしれない。

たった1人の凡人の存在価値なんて、

取り替えが効くような、無価値さしか無いのかもしれない。

このまま生きていて、自分は何かを変えられるだろうか?

一つでも多く自分の存在の意義に辿り着けるだろうか?

ただただ存在するだけの人生は虚しい。

過ぎていく時間が平行に滑りながら、自分を死へと運んでいく。

不幸なのは自分自身ではない。

腐った精神と、剥がれ落ちた心だ。
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プロフィール

スカイメンソール

Author:スカイメンソール
スカイメンソールの生体

年齢:日当たりの悪いところに生息するヒト

趣味:キノコ採取、麻雀、釣り、歌う、アニメ、2ch、哲学、妄想、ゲーム、ギター、ダーツ、実況、アクアリウム

特技:鬱

好きな食べ物:キノコ、のど飴、御クスリ

キノコのようにじめじめしたところに生えているスカイメンソールです。

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