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人生、反省、攻勢



新年も明けましてお願いします。

今年もよろしくやってます。

昨年は個人的に奮わない年でしたが、

今年もこのままだと奮わない1年になりそうです。



そして何となく反省文を書きます。



社会人になってみて、自分がどれほど無能な人間かを痛感した。

自分はまだやれる、俺はこんな人間じゃない、本気出せば出来る

なんて根拠もなく心のどこかで思って生きてきたけど、

実際は何も出来ない、何もしない、出来ない自分から逃げてるだけだ。

心の支えが自意識過剰なちっぽけな自尊心だと心底気付かされました。

そろそろアラサーを迎えようかという今頃になって、

そろそろ現実でも見てみるかと思う次第でございます。



このブログを始めた頃の高校生の自分がどれほど無駄で効率の悪い生き方をしていたかと

生きていて恥ずかしくなる日も少なくありません。

ただあるのは現実で、今で、リアルな現在だと思います。

そして未来の土台となるのも今で、今がクソならこれからもクソだという認識を、

改めて心に刻み込むべきだと感じます。

じゃあ、どうするのか。

変わる。

変わるしか無いのです。

後回しがそろそろ効かない人生だからこそ、

今を変える、そう誓わざるを得ない状況になっているんだと思います。

それもこれも全部土台が悪いから。

自分がアホなのも、惨めなのも、

全ては過去が今にある。

土台がダメなら、新しい土台を作ろう。

そこに新たな道を築いていこう。

今年はそんな年にします。


改めまして今年もよろしくお願いします。
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情熱の出口の仮説

情熱の出口はどこだろう。

昨日まであった情熱が、朝起きると無くなっている。


あれをやろう、これをやろう、

あれがやってみたい、これをやってみたい、

ああしよう、こうしよう…

この段階は情熱の入口に「何か」が入り込んでて気力が充実している状態だ。


ああしてみようかな、こうしてみようかな、

あれが必要だ、あれをしてからが効率が良い、

まずはああやって、次にこうやって…

この段階は情熱に身を任せて計画できる楽しい状態だ。

その反面で、情熱の出口も開いていて、

面倒な気持ちとともに「何か」が抜けていく。


あれをしてからじゃないといけない、これから取りかからなくちゃ、

あれを使わなくちゃいけない、こうしなくちゃダメだ、

あれができたらこれを、あれもこれもやらなきゃいけない…

この段階になるともう面倒な気持ちでいっぱいになって、

ネガティブな思考でやる気が削がれる。

情熱は出口から抜けきってしまったのだ。


おそらく2段階目の計画を立てている状態の時点で睡眠が入ると寝てる間に脳が整理されて、

面倒ごとも整理されて、ネガティブな感情が植え付けられるのだろうと思う。



それを変えるには、思いついたら思いついた時点で引き下がれない所まで手を出す。

情熱の出口からやる気物質の何かが抜け切る前に行動に移す。

それは途中で終わる事になるかもしれない。

それでも構想だけ練ってあれこれ考えて、一歩も進まないよりはずっと良い。

本当は情熱を継続させられるのが1番いいのだけど…


情熱の出口は面倒なネガティブ発想だ。

情熱の入口が開いた時。

それは、その瞬間しかない爆発的原動力が発揮できる最良の時なのかもしれない。



p.s.

月一で更新する予定が忙しすぎて半分ブログの存在を忘れていました。

今月は2回更新目標ですね。頑張ろう。

命を繋ぐ重要性

命を繋ぐ、というのは何も子孫繁栄だとか、

世界平和だとか、後世へ残す偉大な事業だとか、

そんな、人間を駆り立てるためのくだらなくてご立派な話ではない。

命を繋ぐというのは、今日を、明日を、自分自身が生きる事だ。

命ある者はいつか死ぬ。

そのいつかはある日突然訪れるかもしれない。

明日かもしれない。

今日かもしれない。

1時間後なのかもしれない。

そのいつかに、自分自身は納得出来るだろうか?

例えば今がどうにもならなくて、追い詰められていて、

逃げ場が無くて、選択肢が無い時、

人は死を選ぶ事もあるかもしれない。

それも一つの納得だろう。

しかしもし、突然に奪われた命だったら、納得出来るだろうか?

俺は納得出来ない。

今日を生きるから明日も生きられる。

明日も生きるからやりたい事が出来る。

明日出来なくても明後日はやりたい事が出来る。

全ての土台が今だから、命を繋がなくてはやりたい事も出来ない。

やりたい事が出来なければ納得も出来ない。

人生の結論は納得だ。

自分が自分の死に納得出来た時、その時だけが死に際だ。

納得出来ないなら死ぬべきではない。

命を繋ぐ事は、死の納得を追求する上で、

当然行われなければならない行為なのだ。

紙切れの虚像


僕らは皆、汗水垂らして紙切れを集める。

死ぬ気で、必死こいて、紙切れを集める。

たまに本当に死んでしまう人もいる。

やり方は様々だけど、集める物は皆同じ。

紙切れ自体に価値があるのではない。

紙切れに定められた価値を誰もが疑わないから、

紙切れに人生をかけ、紙切れを奪い合い、紙切れのために泣く。

それでも僕らは紙切れのおかげで生きている。

先進国の世の中は紙切れに支配されている。

あいつも、こいつも、自分自身も、

いつの間にか紙切れの奴隷に成り果てたのだ。

あの頃の、超自然的な純粋さで

生き方を探していた少年は、

成長過程における時代の狭間で、

物の見事に殺されたのだった。

限界の島へ


ちょうど先月ぐらいに、八丈島へ行った。

珍しく会社から連休を貰ったのに予定してたイベントが無くなり、

何をするか迷っていた時に、

いつか行くかと思ってた八丈島に、

突然思いつきで行く事にした。

その思いつきと言ったら、現地で宿を決めるぐらい急な予定だった。

おかげでレンタカーは3日中2日しか借りれなかった。

正直平日だしそんな混んでると思わなかったから予約しなかったが、

最終日が土曜で月曜が祝日だったせいだろう。

兎にも角にも光るきのこを見たい以外、

特にやりたい事も無く行ったので何もする事が無い。

滝を見て風呂に入って、自然観察をして、

夜中は光るきのこを探して歩き回って、

それなりに楽しんでもう次の日だ。

ちなみに光るきのこは、稀に見る良天候続きで生えてなかった。

何をしに行ったのか自分でも分からなくなった。

2日目はもう思いつきで朝から山に登り絶景を眺めたと思えば、

午後は海水浴で魚と戯れた。

島を堪能した1日となった。




しかし正直な所、この旅はそんなに特別面白くはなかった。

一人旅だったという事もあるが、何というか、

普段から割と自然を探索してる自分にとっては、

山を登るのも、森を歩き回るのも、たいして非日常ではなかった。

海水浴だけは条件が整わないと出来ないので、

実に10年振りぐらいに泳いで気持ちよかった。

だが、よく考えれば山を登るのも、森を歩くのも、海を泳ぐのも、

それはここでしか出来ないものではない。

光るきのこが見れなかった以上、この島には俺にとって価値がなかった。

何より残念なのが、食事が普通だ。

特産物が雑草だったり、特別すごい海産物が食べれるわけじゃない。

普通だ。

これは島民に聞いた話だが、昔はもっと資源が色々あったそうだが、

観光客が増えてそれなりの対応をするうちに資源が無くなった、

つまり獲り尽くしてしまったそうだ。

これには何というか、流石に島の闇を聞いた気持ちになった。

正直な感想は、この島は観光地としては限界だ。

特段美味い食べ物も無く、産業で誇れるものも無く、

ここでしか出来ない事は、1日のうちに山と海を堪能できる事ぐらいか。

もちろん自然観察は楽しかったし、金と暇が許せばいくらでもいられる場所だ。

だがしかし、忙しい人生で、あえてこの島を選んで、好んで、

休暇を使うような、そんな気にはならなさそうだと思った。

次の長期休暇は(今後あるのか分からないが)沖縄だなと思った。

旅の途中、限界の島で1人、俺は、何故か島の本質について悟っていた。
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プロフィール

スカイメンソール

Author:スカイメンソール
スカイメンソールの生体

年齢:日当たりの悪いところに生息するヒト

趣味:キノコ採取、麻雀、釣り、歌う、アニメ、2ch、哲学、妄想、ゲーム、ギター、ダーツ、実況、アクアリウム

特技:鬱

好きな食べ物:キノコ、のど飴、御クスリ

キノコのようにじめじめしたところに生えているスカイメンソールです。

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